舞鶴神社の本殿を右手に抜けると国指定の天然記念物大クスがあります。その少し前に大きめの石碑があります。
漢詩が書いてある様子で、読み取るには専門知識が必要です・・・
秋月家第11代当主・秋月種樹(あきづきたねたつ)
調べてみますと、秋月種樹(1833-1904年)の漢詩です。1904年の作です。
秋月種樹さんは第9代高鍋藩主種任さんの三男として生まれました。
安井息軒さんらに学び、とても秀明で、29歳の頃には幕府学問所で奉行になりました。「楽山」と号し、小笠原明山(肥前唐津藩)・本多静山(駿河田中藩)とともに学問界の三公子と称さました。徳川14代将軍の侍読(書物の講義役)をしてさらに明治天皇の侍読も務めました。世の中を動かした方々についていた講義役、高鍋からすごい!すごすぎる!
一生懸命勉強されたのだと尊敬します。
そして48歳から58歳まで10年ほど、舞鶴城内の萬歳亭に居を構え、風流を楽しみました。
そして66歳ごろに保養のために片瀬に移り住み、71歳で生涯を閉じたのだそうです。
亡くなる年に詠んだ漢詩を、亡くなった次の年に石碑に彫り、背面には友人であり時の大蔵大臣の曽弥さんのお別れの言葉も彫られて、片瀬の別荘に建てたそうです。
そして8年後、種樹さんが生まれ育ち、風流を楽しんだ高鍋町の萬歳亭の近くの舞鶴神社に移したそうです。
この高鍋町出身で、とても勉強されて日本の中心で活躍された素晴らしい郷土の偉人がいることをとても誇りに思います。
開放されている萬歳亭やその庭、水琴窟など、今度見に行くときには、種樹さんの生涯に想いを馳せながら種樹さんも楽しんだ風情を堪能したいと思いました。
漢詩の内容
原文
家枕湘江得景多 入窓駿嶺雪峨々
相逢朝暮釣魚叟 不説世波観海波
七十二翁 古香種樹題
読み下し文
家は湘江に枕のぞみ景得ること多をし 窓に入る駿嶺の雪峨々たり
相逢ふ朝暮釣魚 世波を説かず海波を観る
家は(中国湖南省を流れる)湘江のほとりにあり、美しい景色を多く眺めることができます
窓から見える駿河の嶺に雪が険しく積もっています
一日中釣りをしている老人にめぐり逢います
世俗に流されず、ありのままの海と波を眺めます
湘江は漢詩ならではの中国の壮大な景観である湘江でもあり、片瀬に住んでいたことからは湘南海岸を重ねたようにも感じます。もしかすると、少しだけ故郷の蚊口浦海岸もイメージしたのかもしれません。
今から120年前の石碑で、もう文字は読めませんが、種樹さんの功績とその生涯を学んで石碑を見ると胸を打たれます。
石碑の裏面
石碑の裏面には、友人であるときの大蔵大臣曽弥荒助(1849-1910年)の書いたお別れの言葉が彫られています。

こちらも読解は難しいですが、訪問の際には御覧ください。
詳細は、こちらを参照ください。
高鍋町の石碑
琴弾きの松碑と同様にとても風情と歴史を感じる石碑です。高鍋町には歴史を感じる石碑が多いのかもしれません。
内容をすぐに理解するのは難しいですが、理解できれば時の流れを感じることができます。とても素敵な石碑と感じます!

