平安時代、日向国の国司であった源重之が、蚊口浦にある大きな老松をみて詠んだ歌があります。源重之は清和天皇の曾孫です。藤原公任が選んだ三十六歌仙のひとりで、「拾遺和歌集」以下の勅撰和歌集に多くの和歌が残されています。
志ら浪の よりくる糸を をにすげて 風に 志らぶる ことひきの松
白波が寄せては返す、琴の糸を張り、松に吹く風がその糸を鳴らして琴を奏でるようだ
言い伝えでは、源重之の時代にはすでに大きな老松であり、幹が虹のように屈曲し、枝は四方に垂れ約20mも広がっていました。松の葉に潮風が触れるたびにゆかしい琴の音を出していたということです。
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歌碑
江戸時代、1781年に高鍋藩の綾部長英(儒学者 1719-1782年)、安田義門(絵師 五代李仲 ?-1815年)、松岡博章らが発起し、第七代藩主の秋月種茂に願い出て歌碑を建てました。

老松は明治23年ころの暴風雨で枝を折られて枯れ、現在の松はその数代目とされています。この歌碑の文字は、阪庭信義が書き、裏面には儒学者渋井孝徳(渋井太室 1720-1788年、上杉鷹山の師匠の一人)の碑文が刻まれています。


