高鍋城跡・舞鶴公園

歴史と文化を感じる
お堀

宮崎県高鍋町の中心に位置する舞鶴公園は、かつて高鍋藩の居城であった高鍋城の跡地に整備された公園です。現在は四季折々の自然に包まれた憩いの場として親しまれながら、城下町の歴史を今に伝える重要な史跡でもあります。

古くは「財部城」と呼ばれ、後に「高鍋城」に改められました。通称は「舞鶴城」です。水をたたえる城堀の残っている宮崎県内唯一の城址で、春は桜、秋は紅葉が美しいです。

高鍋城跡の敷地は広く、舞鶴公園として整備されています。同じ敷地の中に
高鍋町歴史総合資料館・萬歳亭・水琴窟
舞鶴神社・天然記念物オオクス秋月種樹公漢詩碑
が立地しています。

■高鍋城の歴史

727年に柏木左衛門尉が築いたとされています。平安時代後期に財部(現在の高鍋)の士豪であった土持氏の所有となり、以後およそ600年に渡り、土持氏の居城でした。その後、城主は伊東氏、島津氏となり、1587年、豊臣秀吉の九州征伐後には、財部は秋月氏の領地となり、財部城は秋月氏の持ち城となりました。秋月氏はもともと筑前国(現在の福岡県)を本拠としていましたが、関ヶ原の戦いの後にこの財部へと移封されました。1673年に「財部城」から「高鍋城」に改められ、以後明治維新までの長きにわたりこの地を統治します。

高鍋城は山城と平城の性格を併せ持つ構造で、丘陵地を活かした防御性の高い造りが特徴でした。地形が、羽ばたく鶴に似ているところから「舞鶴城」と呼ばれています。頭部分が高台となっており、上に向かって飛び立つ雰囲気があります。最高地点は73.6m。

羽ばたく鶴に似ているかも、です

明治維新後の廃城令により建物の多くは取り壊され、現在は石垣や曲輪の地形などが往時の面影を伝えるのみとなっています。それでも、地形そのものが歴史の証言者として残っているため、歩きながら城の構造を想像することができます。

今も残る城堀

高鍋城の東正面の防備のため、堀を弧状に巡らしています。堀の北西には島田門、南西には蓑崎門があり、全長は530m、幅は12-24mです。

東側には堀を並行して塩田川が流れています。高鍋藩時代は塩田川と堀の間が湿田地帯となり、外堀の役目をはたしていました。

堀の説明文

■寒山拾得の石仏

園内には、中国唐代の禅僧である寒山と拾得をかたどった石仏が安置されています。寒山が経巻を開き、拾得がほうきを持っています。

寒山拾得

舞鶴公園に置かれている石仏は身代わりの菩薩として親しまれています。そのいわれは以下の表札に記載してあります。石仏も近くに寄ってよく見ると・・・。実際に御覧ください。

説明の表札

もと串間にあったものを江戸の秋月藩邸に移し、明治になって湘南片瀬の別邸に、後更に現在の高鍋城内に移されました。

■散歩することで見えてくる価値

舞鶴公園は、城の歴史、巨樹の時間、石仏の思想といった要素が重なり合い、歩くほどに印象が深まる場所です。高鍋町の観光を考えるうえで、この場所は「入口」としても「締めくくり」としても機能します。

同じ舞鶴城の敷地南側で寒山拾得の石仏の奥に、高鍋町歴史総合資料館が併設されています。また、高鍋城の歴史とともに変遷した舞鶴神社で心を落ち着かせることもできます。

朝の静かな時間帯に訪れてもよし、夕方にゆっくり歩くのもおすすめです。季節ごとに表情を変えるため、何度訪れても新しい発見があります。特に4月上旬はとても美しい桜が満開となり、桜祭は県内から多くの人が訪れます。高鍋の空気を知るなら、まずはこの舞鶴公園から歩き始めてみてはいかがでしょうか。

駐車場 あり 約20台

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